なんのことはない。
要はあれはただの国取りだったのだ。


今から思えば。

そう。今にして思えば、あれは本当にただの国取りだった。


確かに徳川幕府に終わりは近かった。
すでに時代は国内だけ平穏であればいいというものではなく。
いや、国内が平穏である為には、国外に目を向けなければならないという時代であり。
幕府がそれについていけてなかった現状では、終わりはそう遠い話ではなかっただろう。


そう。だからそれは必然だったのかもしれない。
今まで燻っていた不満や妬み、嫉みが噴出して、それを隠す為の四民平等だの、真の平和だの、新時代だの。
いかにも新しい時代が来れば、皆幸せに、楽に暮らせるのだという幻を見せて。
大義名分をでっちあげ、頭の悪い人たちにでもわかるような美味しそうな餌をぶらさげて。
自分たちの都合のいいように操った。


一つの大きな組織と時代が崩れようとしている最中、時勢に乗る者がでるのは当然で。
だから色々な大義名分が生まれて消えた。
各々が理想を掲げ、我こそが正義と思い込み。
誰もが自分のそれを疑うことをしなかった。










     だが、それでも。

   それを為すのが自分でなければならないと、何故思ったのか。











そして
その正義とやらの為に流された多くの血と涙が
本当の意味で報われるほどの価値がある「理想」だったのか




何よりも自分は
その理想を掲げるに値する人間なのか




考えたことが一度もなかったのだろうか。






あの時代誰も疑問に思わなかった
人を落としいれ、殺し、死んだ後の名誉さえ汚す。
それも全て新時代の為、ひいてはこの国の為と呪術のように繰り返した。



けれど

そんなことをして手に入れる新時代が

本当に

自分の理想としていたものだったのか

現にそうだったのか

今、この時代を見ても尚

「これが俺の理想とした時代だ」

等と言い切れる人間がいるのだろうか。








「剣心?」

後ろから不意に掛けられた声に、無意識に反応して振り返る。
そこには夜着に身を包み、濡れた髪を拭きながら、風呂上り特有の甘い空気に包まれた薫が立っていた。

「どうしたの、こんなところで?」

不思議そうに小首をかしげた薫の視線が、顔から下に流れて、杯を持っている手で止まった。

「晩酌?」

珍しいものでも見るかのように再び視線が顔に戻る。

「左之から少々分けてもらってでござるよ」

縁側に腰掛け、柱に背を持たせて、体の半分は外に出た状態の剣心は、お得意の人畜無害な笑みで応えた。

「へ〜。珍しいこともあるのね」

等と言いながら、隣に来て慣れない手つきながらも杯に酒を満たしてくれたこの少女は、本当の意味での闇というものを知らない。

「えへ。やっぱりこういうのは苦手」

少しばかり手に溢した雫をぺろりと舐めて無邪気に笑う。





なぜだろう。と不思議に思ったことがある。
子供とは言え、動乱の最中辛い思いだってしただろうに。
彼女はそんなことなど一切知らないかのように笑う。


それが強さからくるものか、それとも天性の性格からくるものなのか、俺は未だにわからない。
ただ、10以上も年の離れた女性に、こうまで魅かれるのは何故だろうとは思う。
一体彼女のなにが、自分をこうまで落ち着かせ、そして苛立たせるのかがわからない。






「あれ? 肴がなにもないじゃない。お漬物くらいしかないけど、持ってくるね」

徳利と杯しかないことに気がついた薫が、腰を上げる。

「なくても大丈夫でござるよ」

と言ってはみるが、彼女のこういう心配りが嬉しくもある。

「それくらい用意できるわよ。あ、私もちょっと欲しいから、残しておいてね?」

「・・・少しだけでござるよ」

普段あまり酒を嗜むことをしないこの少女は、酔うと色々な意味でタチが悪いことを、剣心は重々承知していた。
そしてその被害を被るのは、いつだって自分だと言うことも。

「わかってるわよ」

と、ちょっと拗ねたような顔をして、薫は暗い廊下に姿を消した。








誰かが言った。


あれは、同志の誰かか、それとも敵方の誰かが斬られた時だったか。

「羨ましい・・・な」

ボソリと
独り言のように呟いた人がいた。
それが誰だったのかとか、死んだ人間がどうだったのとかは一切思い出せないのに
なぜか今でも、いや、今だからこそか。
その台詞だけは鮮明に思い出される。



あの時代、人斬りとして生き、そうすることが人々の幸せに繋がると信じようと必死だった時代。
死ぬことに羨望を持ったことはなかった。
今がどんなに辛くとも、その先に人々の幸福があるのなら。
どんな人でも幸せに暮らせる世の中があるのなら。
己が末端から死んでいくようなおぞましい感触に蝕まれながらも、死に憧れた事はなかった。



だが、今ならわかる
己の抱いていたものが、いかに脆く、そして儚い綺麗事でしかなかったかを思い知った今なら。






       羨ましい




現在を諦めていない自分ですら思う。





己の理想の為に闘い、死んだ者。
その時は永遠に止まったままだ。
その理想の終着点を見ずに済んだがゆえに、その生も死も、決して恥ずべきものではないだろう。
少しだけ昔風に言うのなら、その生き方と死に様には大小の差はあれど華があった。
自分の信じた路を貫き、そして死ぬ。
武士ならば・・・いや、男ならば誰しも憧れる生き方だが、実行できる者は少ない。
ましてそれが、今の世に生きる者ならなおの事。


羨ましい

そう言った男は、先が見えていたのだろう。
自分の、自分たちの目指した新時代と、やがて訪れる新時代と言われているものとは
決して同じではないと、気づいていたからこそ。
けれど、今更後戻りはできぬことはわかっているからこそ。
志半ばとはいえ、華のある死を迎えられた男に、羨望を感じたのだと思う。





       そう。


      一番酷いものを見ずに済んだのだから。















「胡瓜だけだけど、いい?」

綺麗に並べられた胡瓜の皿を差し出して、薫が少し離れたところに座る。

「充分でござるよ」

皿を受け取って、代わりとばかりに薫が持ってきた杯に酒を満たしてやった。
左之からもらった珍しく上質な酒は、香りも味も美味なものだったが、そんなことは全く気にせず薫は一気に煽る。
剛胆と言うか、物知らずというか・・・

「薫殿、酒は流し込むのではなく、味わうものでござるよ」

「・・・わかってるわよ」

等と言いながら、手酌で杯を満たす。
わかっていないと思いつつも、剣心はもう止めなかった。










あの時代、なにが正しくて、なにが悪いのか。
今とは全く違う価値観の中で、もがいて、もがいて、それでも答えが見つからなかった。
人々の幸せの為と言いながら、それがどんなものかもわからずに。
ただ斬れと言われた人間を斬って、斬って、斬り殺して・・・
その人の死の向こうには、斬った人数以上の、多くの悲しみや不幸があることには目をつぶった。
それもこれも、誰もが幸せに暮らせる時代の為だと信じて。
仕方のない犠牲だと言い聞かせて。











       だがそんなことをしてやっと得た新時代のどこに




                   誰もが幸せに暮らせる場所があったのか・・・       .









死んだ人々や、不幸になった人々が報われるほどの「何が」あったと言うのだろうか。

















「ぅん・・・」
コトリと杯が置かれた。
見ると、柱に体を預けて、とろんとした目の薫が、こちらを見ていた。

「・・・・・・・・・・・・それは反則でござろう・・・」

酒の入った男の前に、そのような艶姿を容易に晒すなど。
反則でなければ、自殺行為だ。

「?? ・・・なにが?」

それなのに、いまひとつ焦点が定まっていない瞳で、わけがわからないと見つめ返す薫に苛立つ。
どうしてこの女性は、こうまで鈍感なのか。

「拙者とて・・・男でござるよ・・・」

無理矢理に視線を逸らし、夜の闇を見つめる。
けれど、酒のせいではない熱が、己の内に宿ったのをはっきり感じた。
先ほどまでは涼しいくらいだと思っていた空気が、ちっともそうと感じられない。



本当にこの女性はたちが悪い。
いつもいつも、俺を誘っては試す。
それも、自分は全くその気はない素振りで。


「剣心?」




いっそ、俺がどれだけ酷い人間なのか思い知らせてしまおうか。
「人斬り」という大罪を、あっさりと「過去」だと言い切った彼女に
多くの人を斬った人間の本性とはどんなものか、全てを曝け出してしまおうか。
そんな自虐的で魅惑的な気持ちが、昏く頭をもたげる。




今、ここで

その細い手首を戒め

白い胸元を暴いて弄び

無理矢理に足を開かせ

その中に俺を埋め込み



悲鳴などいくらあげても許さない

泣いて許しを請われても止めない



俺が満足するまで

その涙が枯れるまで

彼女の持っている緋村剣心という幻想が粉々に砕けるまで

犯して、侵して、壊してしまおうか








彼女が気にしないと言った過去をもつ男が

本当は心優しい、信頼に値する男などではなく

まして、人畜無害などでは決してない

危険で、汚くて、どうしようもなく醜い男なのだと

簡単に自分の側においていい類のものではないのだと

思い知らせてやろうか








「剣心?」


先ほどの胡瓜を手でつまみ、その指をペロリと舐める彼女に警戒心は欠片も見られない。
相変わらず少し酔いの回ったとろんとした目で、こちらを見ている。




























       本当に、そんなことができたなら




                どんなにか、この気が晴れるかもしれないのに      .











どこまでも魅惑的で暗い願望。





















       俺は

   彼女に必要とされたい、好かれたいと思うのと同じくらいの強さで


       彼女に好かれる自分を否定して、その幻想を砕きたいと願っている       .












「どうしたの?」

薫が小首をかしげて剣心を見る。


今日何度目かの問いは、剣心を正気づかせるには役に立ったようで
剣心は軽く頭を振って深呼吸をした。

「いや・・・少々酔ってしまった様でござる」

相変わらずの困ったような、それでいて人を寄せ付けない笑みを浮かべる。

「さて、今日はもう遅い。そろそろお開きにするでござるか」

「えー! 私、まだあまり飲んでないのにー!」

不満の声が薫からあがるが、もう徳利にはほとんど酒は残っていなかった。

「・・・これだけ飲めば充分でござろう」

苦笑・・・というより、半ば呆れ顔で見つめられた薫は、火照った頬を膨らませてそっぽを向く。

「だってぇ・・・」

「だって。ではござらん。ほら、明日も朝が早いのでござろう?」

「そうだけど・・・」

もう少し剣心と一緒にいたい。
などという乙女心は、所詮この朴念仁には理解してもらえないものなのかと、薫はいっそう膨れる。

「片付けは拙者が引き受けるゆえ、薫殿は部屋で休むでござるよ」

声は柔らかなのに、有無を言わせぬ強さに、薫は渋々重い腰をあげた。








盆に杯と徳利、余った胡瓜の皿を乗せ、台所に向かう途中
暗闇の中、遠ざかる薫の背中を見て、剣心は思う。



己の手を汚してまで手に入れたかった、全ての人々の幸せな暮らしが。
人の世ではどうあっても叶わぬ理想郷と悟った。


そんなものは絵空事でしかなかったと、知った今ですら。




ここに

一時でも平和があること。

絶えない笑いがあること。

小さいながらも幸せがあること。



それが、自分の思い描いた理想の姿だったと

そう、思いたがっている自分がいる。



その美しさゆえに、時に眩しくて
時に苦しく己を苛むけれど



たぶんもうずっと
憧れても手に入らないと諦めていたこの時を
与えてくれたこの女性がどれほど愛しく
そして憎らしいか
彼女には想像もつかないだろう




僅かにぼやけた視界の先に、白い人影だけが浮かんで
おそらくは振り返ったのであろうその人の口が

「おやすみなさい」

と動くのを見届けぬうち、剣心は薫と同じ闇を、台所へと向かって歩き出した。

















陰々鬱々な剣心思考。
どうせ命を懸けるなら、対象はそれに見合うだけのものであって欲しいと思うのは、しごくまっとうな考えだと思いますが、そもそもの理想が高いと色々苦労が多いよね。
剣心の場合、「人の幸せ」というモデルケースを知らなかったが故に、それはきっとかけがえのない、とてつもなく美しく高潔なものだと無意識のうちに勘違いをしてしまったのではないかと。
誰もが平和に穏やかに、心優しく清く生きれるほど、人は美しく出来てないということに気づいたのはいつくらいだったか。

ぶつぶつぶつと暑苦しいな、と。
私の脳みそもでろでろになっているようです。。。