「緋村剣心様、でございますね。」

剣心が振りむいた先には、一人の女性が立っていた。
年は二十前後くらいだろうか。結い上げた髪と、きちりと着こなした、派手ではないが上等な着物。
その立ち姿からも、女性がそれなりの家の者だとわかる。
落ち着いた感じの、芯の強そうな人だった。

「いかにも。拙者は緋村剣心でござるが……。」

 訝しげに剣心が答える。
記憶にない顔だった。どこかで見たことがあるような気もするのだが、思い出せない。

「少し、お話してもよろしいでしょうか。」

女性はにっこりと微笑み、剣心の返事を待たずに隣まで歩み寄った。
ふわり。とその人から香った線香の匂いが、剣心の記憶を刺激する。

(この女性、どこかで……)

 けれど、記憶をいくらひっくり返してみても、どうにも思い出せない。
困った剣心を無視して、その女性は川面に視線を落としたまま

「緋村抜刀斎……」

 静かに、そう言った。

「!」

その言葉に、剣心が驚く。
自分の素性は、ごく限られた者しか知らない。それがこの素性の知れぬ女性に知られている。
剣心の心に警報が鳴り始めた。

(何者だ……)

ほんのわずかだが女性から自分の身を離し、いざという時の間合いをとる。
今のところ女性から不穏な気配は感じられないが、なにかの罠かも知れない。

「ご安心ください。私、敵でもなければ、あなたに危害を加えるつもりもありません。」

剣心の心中を察して、女性は一瞬だけ剣心に視線を向け、にっこりと微笑んだ。
その微笑みは人を安心させる、包み込むような暖かさが含まれていて、剣心も思わずつられる。
が、警戒は緩めず

「拙者の素性をどこで知ったのでござる?」

 と、きらきらと光の残滓を反射している水面から視線を動かさない女性に問う。

「……神谷薫さんをよく存じております。」

「薫殿を……?」

女性は剣心の問いには直接答えない。
が、剣心は薫の名前が出てきたことで注意がそちらに向けられる。

「はい。薫さんがそれは小さい頃から、よく存じております。昔からお可愛い方で、町でも評判でしたし。」

女性は相変わらず剣心を見ない。
水面を見つめながら、遠い日々を懐かしむかのように語る。

(この女性はなにを語ろうというのだろうか)

剣心からは横顔しか見えない女性の面差しは、見覚えがあるような気がしてならない。
けれどそれが誰だったのかは全然思い出せないのだ。
薫の幼い頃を知っているというのなら、この町の、しかも近所に住んでいる女性かもしれない。

(はて……)

けれど、やはり思い当たらない。
剣心の視線を捉えるように、ようやく女性が剣心の方を向く。
真っ直ぐに人を見つめる大きな瞳。

「……拙者に話というのは……」

「薫さんは、幸せなのでしょうか。」

「っ……」

女性の言葉に、どきりと心臓が鳴る。

「確かに薫さんは緋村様に助けられました。緋村様がいなければ、今頃どうなっていたか……それを思うと、緋村様にはどれほどの感謝をしても足りません。けれど、今の薫さんのことを考えると、果たして本当によかったのかと疑いたくなる時があります。」

「……」

「薫さんを見ていると、辛くなるのです。薫さんはまだ十七歳……世間の他の十七歳とはあまりにかけ離れた生活をしているようで……」

(元凶は俺だ)

剣心は心の中で呟く。責任は自分にある。
自分が神谷道場に留まったばかりに、彼女は十七歳という花も恥らう短い華やかな時を、闘いという危険な場所に身を置かねばならなかったのだ。
この太平の世、明治という時代の中で。
ズキリと胸が痛む。
自分が留まらなければ、今頃は……
女性の真っ直ぐな視線から逃げたくても、瞳の奥に強い意志が感じられて、剣心は目をそらすことすらできないでいた。

「薫さんが自分で選んだ事でしょうから、本人さえ後悔していないのであれば私はそれでよいと思います。ただ……」

そこで女性は一旦言葉を切った。
先を続けるのにわずかに戸惑いがあるかのように瞬きをする。

「ただ……何でござる?」

女性は剣心から目線をはずし、また向き直って水面を見つめた。

「世間の十七歳といえば、色恋沙汰だけでも毎日が苦しく切なく、そして楽しい年でございます。世間と比べてというのは、薫さん個人を軽視しているようで、言うべきではないと思うのですが、薫さんのした覚悟は、あまりにも」

(重い……)

人斬りの自分を受け入れてくれた優しさ、いつも支えていきたいと言ってくれた強さ。
でもその言葉を発するためには、どれだけの覚悟が必要だったのだろう。
十七歳の少女に、これからの人生の覚悟をさせたのは、自分だ。

「……申し訳ない……でござる」

剣心は項垂れた。
偽らざる気持ちだった。
薫殿の、これからの人生を台無しにしてしまった気がしてならない。

(いや、まだ手遅れではないかもしれない……)

「私に謝ることではないと思いますが……」

横目で剣心を見やり、女性は言った。

「さっきも申しましたように、私は本人さえ後悔していなければ、どんな選択でもよいと思っています。私が言いたいのは……緋村様にお聞きしたいのは、薫さんがそこまでの覚悟をしているのに、緋村様は答えを出す気があるのかと……」

「……」

痛いところをつかれた。それは剣心本人も散々悩んでいることなのだ。
答えを出す気はある。が、その「答え」を決めかねているのだ。
卑怯だと思いつつも、決心がつかなかった。

「私のような部外者が立ち入る問題ではないことくらい重々承知しております。けれど、私は聞かずにいられないのです。薫さんをずっと見てきたからこそ。彼女のあの一途な想いを見てきたからこそ……」

「……」

「例え、緋村様が薫さんの想いを受け入れなかったとしても、それは仕方のないことだと思います。薫さんも悲しむでしょうが、こればっかりは相手あってのことですから……。けれど……」

そう言って、女性は俯いた。

「なんの答えももらえぬまま、中途半端な気持ちを抱えているというのでは……」

あまりにも薫さんがかわいそうだ。横顔がそう語っている。

「……拙者は・・・答えを出す気はあるでござる。この河原に来たのも、そのことを考えるため。決して薫殿の気持ちをいつまでも踏みにじるつもりではないでござる。」

「ではっ、では教えてくださいっ。緋村様は何に迷っておいでですか?」

剣心の言葉に、女性は顔を上げて真剣に問う。
剣心は一瞬迷った。この女性に自分の心のうちを話す必要はない。
けれど、ここまで薫殿を心配してくれている女性に対して、いい加減な言葉は返って礼儀に反すると思った。

(話しても……)

本当は誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない己の内にあるものを、剣心は正直に話すことにした。

「自信が……ないのでござる」

「……」

「拙者には、薫殿を幸せにできる自信がないのでござる……。薫殿であれば、きっと拙者よりも幸せにできる御仁が現れるでござる。それを思うと……」

自嘲気味に話す剣心に、女の目はすっと細くなる。

「……緋村様、あの娘の幸せがなんだかわかっているのですか?」

静かな、でも怒りを含んだ声で、女は言った。









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その二
オリキャラ登場ですが…夏ですからね(これを書いている時点では)
そういう季節なんです。てことで納得してください…