「かおるどの〜。いい加減機嫌を直して欲しいでござるよ」

「知らない! なによ、その言い方! 誰が悪いと思ってるの!」

「だから、さっきから謝っているではござらぬか。あれは不可抗力でござるよ〜」

「なにが『不可抗力でござる』よ! すぐに誤魔化せばいいと思って!」

「そうではござらぬって、さっきから何回も・・・」

「ああもう! うるさい! あっちいって!」

怒声と共に、障子を突き破って顔面に飛んできたのは、薫愛用の枕だった。
それを顔面で受けて吹っ飛びながら、それでも『障子の張替えをせねば・・・』なんて思ってしまった剣心は、もうすっかり神谷家の主夫なのだろう。




















「よぉ〜。しけた面してやがんな」

縁側で、少し腫れた鼻を冷やしていると、時を見計らった様に左之助が現れる。
これも神谷家ではいつものことだった。
まったく、この男は本当に嗅覚がいいと、剣心は感心するしかない。

「別に、なんでもござらんよ」

これもいまや口癖のようになってしまった台詞を繰り返す。
当然、この男にそんなものが利かないのは百も承知の上でだ。
案の定、左之助は「へ〜。ほんとかね」などといいながら、剣心の隣に腰を下ろした。
だからといって、何を話すわけでもなく、呆けるように空を眺めながら意味もなく「あちぃなぁ」などと言うだけだ。


この男は待っている。

剣心が口を開くのを。

そして、己たちのことを誰よりも心配し、さらに誰よりも面白がっているのだ。

(まったく、たちの悪い男だ)

それでも憎く思えもせず、ついつい心を許してしまうのは、この男の人徳なのだろうか。
などと、面白くもないがつい思ってしまう。
日に日に強くなる日差しは、じりじりと肌を焼き、不愉快に着物をべとつかせる。
それでも日のあたる縁側から離れない男二人は、第三者から見ればさぞ滑稽な姿だろう。


「ちと、しくじっただけでござるよ。拙者に配慮が足りなかった」

「ほぉ」

関心がありそうで、なさそうな返答。
この男はいつもそうだ。そうやって、先を促す。

(乗せられているな)

と思っても、一度開いた口はもう塞げない。

「今日は、薫殿がどうしても洗濯をすると言ってきかなかった。拙者に異存があるはずもないが、急に何故? という疑問が沸いた」

普段は自分に任せっきりなのに、いきなり『今日は私が洗濯するから!』と言い張る理由がわからなかった。

「それでも、薫殿が強く主張するので、まあいいかと洗い桶ごと渡して、拙者は部屋の掃除にかかったのでござる」

「ああ」

左之助の返事は短い。
しかも、慣れた者でないと関心がないのかと思うほどそっけなく感じる。
が、本当は興味津々で聞き入っているのを、剣心は経験上知っていた。

「しばらくして、井戸のほうから悲鳴が聞こえたのでござる。間違いなく薫殿の声だった」

その時の悲鳴を思い出して、剣心は短くため息をついた。
本来なら、始めに気がつくべきだったことだと、今更悔やんでも遅い。

「当然拙者は駆けつけた。薫殿になにかあったのかと思って」

「ふーん。まあ、そうだろうな」

そう言って、大きな欠伸をしながら、左之助はごろりと横になった。
相変わらず、どうでもいいそぶりだ。
剣心は鼻を冷やしていた手ぬぐいを置くと、隣に置いてあった桶に浸す。
腫れはもうほとんど引いていて、痛みが少し残る程度になっていた。

「慌てて井戸に駆け寄ると、薫殿が俯いて立っていた。とりあえず無事な姿を見て安心したものの、明らかに様子がおかしかったでござる」

「あー」

「それで心配になって、あれやこれや尋ねても何も言わず、ただ俯いているだけ。普段の薫殿からはありえない様子でござった」

「嬢ちゃんだもんなぁ」

けけ。と何かを思い出したかのように、左之助が笑う。
そんな左之助をちらりと睨みつつ、剣心は先を続けた。

「よくよく見ると、薫殿の肩がわずかに震えていたでござる。これは暑さにやられたのかと、急いで日陰へ誘導しようとしたところ、手に何かを握っていたでござる」

そこで、思い出したのか大きなため息をつく剣心をみて、左之助がひらめいた。

「あー、わかったぜ。お前のあれか! そりゃ嬢ちゃんには刺激が強すぎんだろ!」

がはは。と大口を開けて笑う左之助を、殴ってやろうかと剣心は思った。
しかも、あながち外れてもいないのが腹立たしい。

「そりゃあよ、いくらお転婆だっていっても、嫁入り前の女だぜ? そりゃ嬢ちゃんだって怒るだろ」

おかしくて仕方がないという様子の左之助。
もう少し放っておいたら、腹を抱えて笑い出すに違いない。






「・・・・・・拙者のではないでござるよ」

「へ?」

おかしそうに笑っていた左之助が止まる。

「だから、拙者のではないでござる」

そこまで間抜けではないと言いたいのか、剣心は念を押す。

「んじゃ、弥彦のか? なら嬢ちゃんが怒る筋合いでもねぇだろうに」

「弥彦のでもないでござる」

「んじゃ、誰のだよ?」

ますますわからない。という顔をする左之助に、剣心は大きなため息をつく。















「・・・薫殿本人のでござった」












「は?」

「だから、薫殿本人のでござる。正直、拙者も始めなんのことかわからぬままでござったが・・・」

「ほへ? んじゃなにか? 嬢ちゃんの腰巻を嬢ちゃんが見つけて、お前に雷が落ちたってことか?」

端折りすぎだとは思ったが、大筋ではあっている。

「まあ、な」

「・・・それ、まじな話か」

「口外したら、拙者の命はないでござる」

だから、・・・わかっているな。と言外に含ませて、鯉口に指をかける剣心に、冷や汗をかきながらうなずく左之助。

「いやしかし・・・なんて言っていいのかわかんねぇけどよ」

「何も言わなくていいでござる」

桶からまた手ぬぐいを取り出し、軽く絞って鼻にあてる。

「ご愁傷様ってやつかねぇ」

がははっ。と結局は大笑いする左之助を横目で見つつ、さて、薫殿の機嫌をどうやって直せばいいのやらと悩む剣心。
今までだって洗ってきたのだから、何を今更・・・と思っていたが、彼女にはそんな自覚すらなかったらしく、かなり恥ずかしい思いをさせてしまったらしい。
自尊心を傷付けず、なおかつ円満に解決する方法は、どうやら隣にいる男では無理らしいと見切りをつけ、己の考えに没頭する。

「お前ぇも苦労が絶えねぇな」

と、腹を抱えて笑う左之助を心底憎らしく思いつつ、夏の日差しを仰いで干したばかりの洗濯物を眺めた。
















神谷家では、こういうの誰が洗ってるんだろう・・・と素朴な疑問。