具合が悪いわけでもなかったのに、ちょっとした行き違いで布団に寝かしつけられてしばらくたった。
普段であれば夕餉の支度などを始める時刻だけれど、今日は拙者は具合が悪い(ことになっているので)何もしなないで寝ているように。
と薫殿から厳命されていて、迂闊に起きて行こうものならどれだけ怒られるかわからない。
こういったときの薫殿は、なにを言っても聞いてくれないことは経験上よく知っていたので、拙者もおとなしく布団に落ち着いているのでござるが……

「なにもしないというのも、退屈でござるな……」

本当に体調がすぐれないのであればこんな事は考えていられないのだろうけれど、今日はそうではないので、手持ち無沙汰に感じてしまう。
障子の向こうからは、少し傾いたけれど温かい日差しが入ってきていて、なんだか横になっているのが申し訳ないような気分にさせてくれる。

(だいたい、薫殿は心配性なのでござるよ)

たとえ少々顔が赤かろうが、多少の熱があろうが、十年も放浪してきた拙者が、これしきの事でどうにかなるわけがないのに。

(まあ、それだけ気に掛けてくれている。ということでござろうが)

けれど、その顔が赤くなった理由が薫殿だというから、なんとも皮肉だ。
心配そうに眉を寄せていた薫殿の顔を思い出して、思わず顔がにやける。
胴着姿という格好にもかかわらず、相変わらずの可愛らしい顔。すらりと伸びた手足に重そうな防具袋を担いで、なのに少しも乱れない歩調。
額に触れた豆のある手のひら、薄く開いていた桃色の唇。
どれをとっても好ましい。

(若いというのは、それだけでも十分魅力的でござるが……薫殿のそれは、それ以上の……)

出会った当初は、ただその若さゆえの力強さと汚れのない光に、自分の罪の意識が刺激されて魅かれているのかと思っていた。
いや、ただそれだけだと思おうとしていた。
薫殿が向けてくれる想いが、純粋な厚意からからなのか、それともそれ以外になにかあるのかも拙者には判断がつきかねたし、若いうちには往々としてある、憧れと恋とを勘違いしていることも十分すぎるほど考えられた。
一時的な感情に流されて、薫殿のようなまっとうな人生を歩んでいる人が、拙者のような罪人にいつまでも関わっていられるわけがないと、だからこの先には何もないと、そう思おうとしていた。
それが薫殿のためになると、半ば強迫観念のように思い込んでいた。

(いや、なによりも……)

拙者が薫殿に、他の誰よりも好意を持っていることを、拙者自身が気づきたくなかった。
薫殿が拙者をどう思っているかなど関係なく、拙者が薫殿を好いてしまっているという事実を、拙者自身が認めなくなかった。
……認めたくなかったのに。

「とほほ……でござるよ……」

苦笑いが浮かぶ。
いつの間にか、薫殿は拙者の隣にいるのが当たり前になって。
いつの間にか、拙者もそれを望んでいて。
そして、その事に自身が気づいてしまって。
気づいてしまったら、後はもう地獄だった……

「はぁぁぁぁ……」

拙者は布団の中で、また大きな溜息をついた。
ごちゃごちゃ前置きしてももう無駄なのでござるが。
拙者は薫殿が好きで好きで好きで。
もうほんと今更過ぎてどうしていいかわからないくらい、前から好きだったという事に気づかされて。
更に悪い事に、これがまた気づいたはいいけれど、じゃあこの状況ってどうなんだってことを考えたら、色々いっぱいいっぱいになってしまっているのでござる。
慣れ親しんだ仲間はそれぞれの路に旅立ち、一番近しい弥彦ですら、今は長屋で独り暮らしを始めてしまった。

……つまり、今この家には、拙者と薫殿しかいないわけで……。

……

…………

………………


そんなの、出会ってから弥彦が一緒に住むようになるまでの、短い期間だったけれど確かにあった、あの時と同じじゃないかと思われるかもしれないが。
そんなわけがないでござろう。
あの時と今じゃ、お互いの気持ちが天と地ほど違うのでござる。
あ、いや。薫殿はわからないけれど、拙者は明らかに違う。少なくても前はこんなに困ったりしなかったでござる。

わからないなら想像してみて欲しいでござるよ。
想いを通じ合わせてはいないが、好いている人が、一つ屋根の下一緒に暮らしているという構図を。
しかも、ちょっと前まではそれが当たり前だった上に、和やかな気分に浸れる大切な場所だったのでござる。
それはそれは心が温まる場所だったのでござるよ。
それが、今は同じ場所に座っても落ち着かない。
何故なら薫殿がいるからっ。
でも薫殿がいなかったら、心は温まらないどころか氷点下でござる。

……この辺の複雑な事情を察して欲しいでござる。

(せめて、弥彦がいてくれれば気持ちも紛れるのでござるが……)

薫殿の二人っきりというのがよくない。妙に意識してしまう。まして、薫殿はいつの間にかその、女性らしくなったというか……
元々可愛いし、気立てもいいしで魅力的ではあったけれど、今はそれ以上の、女性の色香というか、なんかそういうものをそこはかとなく纏っていて、それが拙者を絶えず誘惑するというか……薫殿にそんな気はさらさらないのでござろうが、拙者が勝手に誘惑されているというか……
何気ない仕種にドキリとさせられて、こっちの身がもたないというか……

ゴロリと寝返りを打つ。全然眠くはないし、返って身体を動かさないと余計な事ばかり考えてしまいそうでござるが、なんせ薫殿の厳命……また溜息をついて敷布に顔を押し付けた。

「……そういえば、この布団は薫殿が敷いてくれたのでござるな」

何の躊躇いもなしに、拙者の部屋に入って、拙者の使っている布団を敷き、形を整え、枕を定位置に置き、掛け布を持ってきて上に掛ける。
その一つ一つの動作を想像してしまう。
薫殿の指が触れた枕。
敷布の形を整えている最中は、きっと膝をついたであろう畳や敷布の上。
薫殿が持ち上げた時、きっと胸に触れていただろう掛け布。
それから……

(うわっ! やばっ)

慌てて飛び起きた。

「ちょっ……まずいでござるよっ」

誰に向かってなにを言っているのか、わからないままにして欲しいでござるが。
こんな、何の痕跡も残っていないところにすら反応してしまう自分が情けない。

(……いや待てよ……本当になんの痕跡もないのでござろうか……)

たとえば、この掛け布。きっと両手で抱きかかえるようにして運んだに違いないでござる。
そして、薫殿は出稽古帰りで。
向こうで汗を拭いてきたかもしれないけれど、胴着のままだったから胴着についていた汗もあるはずで。

「…………」

いやいや、そんなはずはないでござる。
そう思ってみても、視線が逸らせない。
もしかしたらちょっとは、薫殿の香りが残っているやもれないと思ったら……
なにか悪い事をしているような、ソワソワした気持ちと、いやいやちょっと待て。それは止めておいたほうがよいでござるよ。という気持ちとが一瞬鬩ぎあって、制止する声はわずかに負かされてしまった。

「……」

飛び起きたまま、座った足にまとわりついている賭け布に手が延びる。
けれど、少し触ったところで躊躇って手を引っ込める。

(や、やっぱりまずいでござろうか……)

なにがと言われると、なにが悪いのかわからないでござるが……その……なにかが。
それでも、手は掛け布に延びる。
今さっきまで掛けていたのだから、なにを今更躊躇う事があるのか。
もしかしたら、そう、もしかしたら……なんて、ないに決まっている事を妄想しながら横になっているより、はっきりさせた方が気持ち的にもすっきりするし。
そうしたら、今度は本当にゆっくりした気持ちで休めるやも知れぬし。
などとわけのわからない言い訳を自分にしつつ、すりすりと掛け布を撫で回す自分の指。

……拙者自身のこととはいえ、少し気持ちが悪いでござるな……いやいや。

ゆっくりと、掛け布を畳む。
薫殿が持ったときは、このようになっていたはずの形に戻していく。
そうしておいて、薫殿はどうやって持っただろうとか、広げるときはどうしただろうとか考えながら、そっと。
畳んだ掛け布に顔を埋めた。

「…………」

そのまま息を吸う。
薫殿の匂いを探すように。薫殿のぬくもりを探すように、両腕で掛け布を抱き込みながら、顔を埋めて深く息を吸う。

―――好きだ

薫殿が好きだ。
怒った顔も、笑った顔も、泣いた顔も。
困ってどうしようかとオロオロする姿も、照れ隠しに暴力的になるところも、剣を握ったときの凛々しい姿も。
優しいところも、厳しいところも、意外に泣き虫なところも、その涙を恥じとは思わない潔さも。
ああもう、あげたらキリがないけれど。
とにかく全部好きだ。

「かおるどの……」

「なーに?」

その髪にふれた……

「え? ……」

今、薫殿の声が聞こえなかったか? はは。いや、まさかまさかでござるよな。
いくら拙者が油断していたとしても、部屋に入ってくる気配に気づかぬわけが……
鼓動が早鐘を打つどころではなく、もう口からでてしまいそうなほど大きく早く鼓動する。
なのに手足は冷え、血の気が音をたてて引いていくのがわかった。

(うそでござるよな……?)

掛け布に埋めていた顔を、ゆっくり上げていく。ギギギギとさび付いた音をたてそうな首を無理に動かして、横を向くと

「どわっ!!!! なっ! かっ! どっ!」

全力で壁まで飛びのいた。
そのまま背中をべったり張り付かせて、正面を見る。
そこには間違いなく薫殿の姿があり、しかも本人はなにが起きたのかわからないのか、驚いた顔でこちらを見ていた。

「ど、どうしたの?」

上ずった声で聞いてくる薫殿を正視できなくて、拙者は部屋中に視線をさ迷わせた。
先ほどとは逆に、一気に血が上がってくる。
それと同時に体中から変な汗が噴出してきて、なんとも心地が悪い。

(み、見られたのか?)

 頭の中を占めているのはそのただ一点のみ。
けれど、そんなことを聞けるわけがない。

(見られた。見られてない。見られたら。見て……って違う!)

「い、いや……なんでもないでござる。ち、ちょっと寝ぼけてしまっていたようでござるよ。薫殿が入ってきたのに気がつかなかったというか、驚いてしまって……」

自分で言っていて意味がよくわからない言い訳を、ダラダラ汗を流しながらまくし立てる。

「か、薫殿はどうしてここに?」

壁に張り付いたまま一歩も動けないままの拙者を、首をかしげながら薫殿が見つめている。
し、心の臓が破裂しそうでござる……

(この態度は、何も見られていないということでござろうか……?)

 わからない。判断がつかない。

「どうしてって、お粥ができたから持って来たのだけれど……剣心、本当に大丈夫? もし具合が悪いなら無理しないで言ってね?」

優しい言葉を掛けてくれる薫殿は、普段と変わりないように見える。
持っていた盆を布団の横に置いて、自らも腰を下ろした薫殿は、まだ壁に張り付いたままの拙者にもう一度首を傾げる。

「剣心? なにやっているの?」

「あ……いや……」

まだ心の臓は早鐘を打っていたけれど、とりあえず座らないことにはどうしようもない。
拙者はそろそろと壁伝いに腰をおろすと、その場で正座した。
なんというか、薫殿の近くに寄りづらいでござる……そもそも直視できないでござるし……

「……なにやってるの……?」

拙者の気持ちになど当然気づくはずもなく、薫殿は機嫌が悪くなった時の低音の声で、布団に戻れと促してきた。
いや、今は勘弁して欲しいのでござるが……あ、はい。戻るでござる。
薫殿の片眉がピクリと動くのを見て、これ以上不審な行動を取らない方が身の為だと判断した拙者は、もそもそと布団の上に戻る。
それを確認した薫殿が、軽く溜息を一つついて尋ねてきた。

「で、どうなの?」

「え? な、なにがでござる?」

頭の具合とか、拙者の妄想の内容を聞かれているのかと思って、拙者は思いっきり焦った。

「……風邪……」

「え? あっ! 風邪! ……そ、それはもう、すっかりよくなったでござるよ!」

「そうは見えないけれど……」

薫殿は疑い半分、不審半分という表情で拙者を見る。
うう……面目ないでござる……
拙者はうなだれる。
まさか、自分の妄想がばれたのかと焦って挙動不審になっているとは告げられず、他によい言い訳も浮かばない。
先ほど吹き出た汗が、顎を伝って落ちるのが気持ち悪い。

(もしばれたら、嫌われてしまうでござろうか……)

 当たり前のことに思い至って、今更ながら気持ちがズンと沈む。
薫殿に嫌われたら、拙者は……

「まあいいわ。まだ熱も下がっていないようだし……食欲はある? お薬と、お粥を作ったら食べれるようなら食べて欲しいのだけれど……」

溜息と共に吐き出された、それでも拙者の身を案じる言葉に、沈んだ気持ちが一瞬で浮上した。
その勢いのまま返事をする。

「か、かたじけないでござる。もちろんいただくでござるよ。ちょうど腹が減ったと思っていたところでござる!」

これまた不自然なほど明るい声が、部屋に響き渡ったが、薫殿はもう何も言わず、粥の用意をしてくれた。
脇に置いていた盆の上に、小ぶりの土鍋、椀が乗っている事に、このとき拙者は初めて気がついたのでござるが、はて? 薬も。と先ほど薫殿は言っていたような気がしたでござるが……?
若干の違和感を覚えつつ、薫殿の手馴れた手つきを眺める。椀を持つ白い手が綺麗だな。なんて、懲りもせずに思ったりしながら、その先に視線を移した。
そして固まった。

「はい。まだ熱いから気をつけて食べてね」

そう言って渡された椀の中には、およそ白米からは遠くかけ離れた色をした、黒色のヘドロ。

「薫殿……? これはいったい……」

まさかこれが粥とか、冗談でござろう? と言外に含めた言い方だったにもかかわらず、薫殿はまったく悪びれた様子もなく言った。

「あ、これね。お薬が入っているの。せっかくだから薬膳粥の方が食べやすいんじゃないかと思って」

「…………」

そもそも、食べられると思える程度の色をしていないでござるが……
これは……いつにも増してすごいでござる……

「うちにあった煎じ薬なんだけれど、そのままだとすごく苦いの。だけど、お粥にすこし甘みを足しているから、それで中和されていると思うわ」

ああ、この黒色のなかに、茶色の紐のようなものが見えるのはそれでござるか。
せめて煎じた葉の方は取り出して欲しかったでござるが……って、もはやどこから突っ込んでいいのかわからないほど、すごい言い分でござるなぁ。

「……はは。これまたすごい臭いでござるな」

鼻をつまみたいのを我慢するのも辛いでござる。

「でも、このお薬すごく効き目がいいのよ。これを食べて一晩寝れば、明日にはきっと治っているわよ」

そのまま昇天しなければ。の話でござるが……
ああ、これはあれか。
この世に神とか仏とかがおられるのであれば、これが神罰と言うものでござろうか。
いや、天誅とか……?
だとしたら因果応報とはこのことでござろうか。
どちらにせよ、逃れられるものではなさそうでござるな。
ここは自業自得と諦めて、運命に身を任せるしかなさそうでござる。
拙者は覚悟を決めて匙でそのヘドロもとい、粥をすくったでござる。

「で、では。ありがたくいただくでござるよ」

引きつった笑いと、先ほどとはまた違う汗をかきながら、薫殿に告げると

「まだおかわりはあるから、どんどん食べてね」

なんて笑顔で返された。
……こんな時でも、その笑顔が可愛いな。と思ってしまう拙者は重症でござる……
でもおかわりは遠慮したいでござるが……
鼻近くまで匙を持ってきたことで、より強く感じるこの異臭は、良薬口に苦しの範囲をゆうに超えているでござるが、拙者は息を止めてそれを口に流し込んだ。

「……」

……飲み込めないが、口の中に留めておくのも苦痛。これをいったいどうすればよいのやら……
それはもう、形容しがたいというか説明したくもない味と言うか食感と言うか……

「剣心?」

薫殿が心配そうに覗き込んでくる。
うっ……飲み込めたでござる……食道がなにやら拒否しているようでござるが、薫殿の顔に戻すなんてことはできないので、ここはぐっと我慢我慢。
汗がだらだら垂れているでござるが、それでも

「大丈夫でござるよ。ありがとう薫殿」

と、お得意の笑顔を作った。
作り笑顔の特技はいろんなところで役に立つでござる。
その笑顔に安心したのか、薫殿もニッコリ笑う。
ああしつこいけど可愛いでござるな。
その勢いのまま。二匙目を口に押し込む。租借はせずにそのまま飲み込もうとした時

「あ、ところで剣心、さっき私の名前を呼んでいたでしょう? あれはなんだったの?」

時間差の爆弾に、思わず口の中のヘドロを吐き出した。











緋村さんが若干変態入ってますが……
あれですよ。好きな子のリコーダー吹いちゃうみたいな。ちょっとでも近くに感じたい。って気持ちの表れ?
本人に知れたらドン引きですけどね